まったりついったほいや 「ろくやた」正解発表[03 正解発表]
(2012-06-03 11:03:26) by 青村豆十郎


01  【碌八咫】 大きくて役に立たないもの。咫は古代中国で使われた円周の単位で大きくて長いものを八咫と称した。帯に短し襷に長し。 @fuji_hal

02  【碌やた】ろくでなしの宿なしのたわけの意。諸艶大鑑「この―めと嫁の言ひ腐さんがあはれにて」 @tamanowo

03  【六八太】質草(七九左)にもならないがらくた。また、仕事もせずに遊び歩いている道楽息子のことを、親が罵って言う俗語。軽口花咲顔「察するとあの―に頼まれたな」 @oniyome1902

04  【六弥太】 (豆腐を「おかべ」ということから、源義経の臣、岡部六弥太にもじっていう)豆腐の異称。 ★広辞苑

05  【六夜田】 新嘗祭の献上物を祭前の6日6晩神饌田に存置すること。またその存置した献上物。 @yorimichi

06  【六矢多】なにごともほどほどにの意。とある三本の矢に感銘をうけた地方の豪族が、ならば自分の息子にはと、まだ年端もいかぬ一人息子に矢を6本持たせたが、たとえ一本でも折ることが出来ようはずも無く激怒してしまったという逸話から。過ぎたるは及ばざるごとし。 @hiroyukiinoue

07  【肋弥太】江戸時代末の愛知県豊橋市付近の侠客。生没年不詳。甲斐の黒駒、清水の次郎長と勢力を競い合い、講釈師田辺銀左の『東海三国任侠史』にも取り上げられた。維新後の消息は不明。肋骨弥太郎。 @kotono8

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「ろくやた」のシャレから無賃乗車を意味する「薩摩守」をイメージした方が多くいました。

実は岡部六弥太こと岡部 忠澄(おかべ ただずみ)は、源義経・源頼朝の配下で、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いでは薩摩守の語源である平忠度(たいらのただのり)と組み討ち、討たれそうになるも郎党の助太刀によって忠度を討ち取っています。 そしてその後は忠度の死を深く惜しみ、その霊を慰めるために所領の岡部原に五輪の塔を建立しました。 こうした逸話は熊谷直実と淳盛に似た話で、六弥太も薩摩守も江戸時代の人には馴染みのある人物であったようですね。 尚、その五輪の塔は慶安2年(1649年)に、清心寺(深谷上杉氏家臣岡谷清英創建)に移築されました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E9%83%A8%E5%BF%A0%E6%BE%84


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