震災一年目に読み直してみた鴨長明『方丈記』の地震記述[日本時事ネタ]
(2012-03-12 15:18:32) by 松永英明


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あの大地震から一年。復興はまだこれからの段階である一方、「一つになろうニッポン」のかけ声とは裏腹に新たな対立と罵り合いが繰り広げられた一年であったと思うが、少なくとも多くの人たちが「今まで考えていなかったこと」を考える契機になったとは思う。

わたし自身は昨年6月の文学フリマで『東日本大震災でわたしも考えた』を発表したが、基本的にはわたしのスタンスは「我が身を守ることに汲々とするより、今、ここでできる範囲の無理のない貢献」ということで、ささやかながらできることをやってきたつもりである。たとえば、震災後に買った米は今まで一年間ずっと福島県産である。もちろん昨年秋の収穫分についても、放射線量が厳重にチェックされた会津喜多方産を購入しているため、放射性物質に関してはまったく心配していない。

そんな中、ふと読み直してみたいと思ったのが鴨長明『方丈記』だった。ここには、大地震を含めていくつかの天変地異や遷都という大きな変化をきっかけに、鴨長明が強い無常感を抱くことが記されている。震災をきっかけにいろいろと考えることになったという点に限ってではあるが、現代のわたしたちとも共通しているところがあると思う。

今回は、方丈記の冒頭および元暦大地震関連の記載部分を改めて訳し直してみた。

方丈記(松永訳)

※原文は青空文庫の『鴨長明 方丈記』を参照した。

 流れてゆく川の流れは絶えることがなく、しかも流れているのは同じ水ではない。よどみに浮かぶ泡は、消えては生まれ、久しくとどまることがない。世の中にある人も住みかもまた、このようなものだ。

 玉を敷いたように美しい都の中に棟を並べて立ち並んでいる高貴な人の家も身分の低い人の住まいは、代を重ねてもつきないもののようにみえる。しかし、それは本当かと調べてみると、昔からあった家はほとんどない。去年壊れて今年建てた家もあるし、大きな家がなくなって小さな家となったものもある。住む人も同じである。場所も変わらず、人も相変わらず多いが、昔見た人は二、三十人の中にわずか一人、二人のものである。朝に人が死に、ゆうべに人が生まれるというさだめは、まさに水の泡に似ている。

 生まれて死ぬ人がどこから来てどこへ行くのかは、わからない。また、仮の宿りでしかない家なのに、心を悩ませて家を作るのは誰のためなのか、見て楽しいものにしようとするのは何のためなのかもわからない。

 住人も住みかも無常を争うかのように去っていく様子は、言ってみれば朝顔の露そのものである。露だけ落ちて花が残っていることもあるが、残るといっても次の朝日には枯れてしまう。また、花がしぼんで露が消えずに残っていることもあるが、消えないといっても夕方まで待っているものではない。

 さて、ものの道理がわかるようになってから四十年あまりの歳月を過ごしてきたわけだが、世の不思議を見ることがたびたびあった。

(※以下、鴨長明は五つの災害や大事件のことを記している。

このうち、元暦大地震の節から訳す)

 また、元暦二年のころ、大地が揺れる(おほなゐふる)ことがあった。その様子は世の中に普通にあるものではなかった。山が崩れて川を埋め、海は傾いて陸を浸した。土が裂けて水がわき上がり、大岩が割れて谷に転がり、なぎさを漕いでいた船は波のまにまに漂い、路行く馬はどこに脚を立たせればいいのかもわからなくなった。

 都のあたりでは、あちらこちらの堂舎(大小の家/社寺の建物)・廟塔が一つとして無事ではなかった。崩れたり崩れたりするときに立ち上がる塵や灰は、もうもうと立ちこめる煙のようだ。地が震え、家が壊れる音はいかずちそのものである。家の中にいるとたちまち押しつぶされそうになる。走り出るとまた地割れが裂ける。羽がないので空に上がることもできない。龍ではないので雲に昇るのも無理だ。恐ろしいものの中でも特に恐るべきものは、まさに地震だと思ったのである。

Tags: 地震, 方丈記, 東日本大震災

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