No.107:世田谷の八幡宮の謎(4終)自由が丘編[東京]
(2011-01-18 21:09:35) by 松永英明


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 奥沢神社では毎年九月の第一日曜日に氏子が集まり、大蛇づくりが行 われる。これは社殿に安置され、社殿にあった昨年の大蛇を鳥居にかけ られる。そして九月十四日の大祭に大蛇お練りが行われる。

ここで憶測してみます。もしかしたら、この八幡神社はもともと蛇神の社 があったところに建てられたのではないか。丘の上の水源に水神を祀って いた。奥沢城建造に際してその場所に八幡神社が置かれた。その後、江戸 時代に入って再び水神信仰が復活してきたので、ストーリーとして八幡神 のお告げなどが語られるようになった。その水神=蛇神がやがて江戸の流 行神である弁財天とされるようになったのではないか……と(本来、弁財 天は神道ではなく、インド出身の仏教の天部衆です)。

この憶測は、吉良氏系神社なのに丘の南斜面にないこと、八幡神よりも蛇 神信仰の方がメインのように思われることからこじつけたもので、何の歴 史的根拠もありませんが、そういう史実が存在したとしても不思議ではな いと思ったりもしています。

また、この近所(田園調布に近い方向)に「八幡小学校」というのがある のが気になっていたのですが、この八幡という名称もやはり奥沢八幡神社 に由来していたことがわかり、腑に落ちた感じがあります。

◎世田谷区内の八幡神社総覧

というわけで、もう一度改めて八幡神社の一覧を完成させてみましょう... ...いや、その前に一つ補足しておかねばなりません。田園調布八幡神社の ことです。今まで「丘の南斜面」と書いていましたが、もう一度チェック してみるとこれは北東から南西に下る斜面でした。というわけで、△にラ ンクダウンしておきたいと思います。

八幡塚古墳の跡に建てられたと思われる宇佐神社を除けば、○印(すなわ ち世田谷区東部にある丘の南斜面の八幡神社)はすべて吉良系ということ になります。つまり、世田谷の吉良家はほとんどの八幡神社を丘の南麓に 建てた(例外は奥沢神社のみ)と結論づけてよさそうです。

その例外の奥沢神社はむしろ蛇神信仰が強く、宇佐神社のように古くから の霊場であった可能性を捨てきれません(中沢新一のアースダイバー的に は、田園調布は「岬の突端」の神社であり、この三つはセットにできるの かもしれません)。

このあと熊野神社に回ったのですが、今回はかなり長くなりましたのでこ の辺で。

Tags: 世田谷, 八幡神社, 自由が丘

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