No.112:「グリーンライン下北沢」と「七福神」[東京]
(2011-12-02 19:58:41) by 松永英明


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より大きな地図で 下北沢「新七福神」ことのは案 を表示

では、七にするにはどうするか。二つ考えがあります。

まず、近いものをまとめてエリアとして考えてみます。東北沢に近い方から、次のようになります。

代田八幡と円乗院は代田七人衆ゆかりの寺社としてセットにしています。このエリア別七福神だと、周遊ルートが設定しやすいのも魅力です。たとえば……

代田八幡→円乗院・三峯神社→北沢川緑道→森巌寺・北沢八幡→森巌寺川緑道→南の庚申堂→ダイダラボッチ川跡→踏切地蔵・ダイダラボッチ→グリーンライン→下北沢駅→商店街→真龍寺→北の庚申堂→延命地蔵

という川沿いをたどるルートがきれいに描けます。

もう少しすっきりさせるためには、同じ神様が重複する場合に一と数えること。実際、小石川七福神でも弁財天が二箇所にあったりします。そこで残念ながら円乗院と三峯神社はカットすることにしましょう。

そうするとこんな感じで七尊になります。

グリーンラインに接しているのは代田八幡・踏切地蔵と新設のダイダラボッチだけではありますが、こんな感じで下北沢の新七福神を設定しても楽しいと思います。

◎都市の弁天軸

故・毛綱毅曠という異端の建築家がいます。毛綱氏は建築に神秘学的な視点を盛り込み、派手にぶっ飛ばしたアイデアを出していた人物ですが、その提唱の一つに「都市の弁天軸」という概念があります。

毛綱毅曠『七福招来の建築術』には、「都市の弁天軸」についてこのように書かれています。一部引用しましょう。

 神社仏閣があれば、その前で歌や踊りなどの芸能が奉納される。それが定着して見世物小屋や劇場ができる。お詣りかたがた、そうした娯楽を目的にして人が集まってくる。さらには、神社などにいる巫女が転じて、遊女になって体を売ったりする。それを目かけて、また男が集まる。もう、どんどん集まっちゃうのである。

 交易のための市場ができる。そこでは、もちろんいろいろな珍しい品物、必需品を売る店が並ぶ。それを買いにやってきた人たち目あての、食い物屋も出る。ついでに体も売っちゃう女が立ったりする。どうも女が必ず出てくる。こういうところにも、人が集まってくる。人間は、いかがわしいことが好きなのだ。

 そうなのだよ。この市の立つ場所、これを無縁の地というんだけれど、そのとっつきは市姫サマという女性の神様をまず勧請してから、モノや情報や愁波の交換が始まるんだ。わかるかな。そんなところから私はこれを「都市の弁天軸」とひそかに呼んでいるのだが、建築学界では、いまだに誰も、相手にしてくれないのだ。

 東京の浅草は、そういう右脳都市の典型だったのではなかろうか。浅草寺の観音サマは、六二八(推古三六)年、漁師の網にかかった金の観音像を祀ったのが始まりといわれている。その後、近隣の人びとの信仰を集めたが、とくに鎌倉幕府を開いた源頼朝の尊崇を受けて、大いににぎわったらしい。

 それと同時に、浅草は古くから帰化人の技術者集団が棲みついていた土地であった。瓦や陶器を焼く窯業の民、金属の鋳鍛や細工をする金属工、建築にたずさわる大工など、これらの技術者は、第三章でも述べたように、いわば異界に棲む「鬼」と見なされた人びとだ。当然、これらの技術者が造り出す物品を目あての人たちが集まってきて、活気ある市場を形づくっていたことだろう。

 一説では、頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、その街造りのために、多数の技術者が浅草から徴発されたという。それほど、彼らの技術が高く評価されていたわけだ。

 やがて、徳川家康が江戸に居を構えたとき、江戸城という左脳都市の中核の出現によって、江戸は世界一の巨大都市への道を歩み出す。そのとき、浅草の地に龍宮城のような「吉原」の遊廓を置いたことは、まさに都市として画竜点睛の「快挙」だった、と言ったらヒンシュクを買うだろうか?

Tags: グリーンライン, 下北沢

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